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脱炭素狂騒曲 その7 未来館


 1980年代末までの世界を見てみましょう。1962年11月のキューバ危機、1979年12月のソ連のアフガニスタン侵攻、1989年11月のベルリンの壁の崩壊、翌月にアメリカのブッシュ大統領とソ連のエリツィン大統領がマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言。1991年12月には、ソ連邦が解体。その後、国連がこれらのために行った仕事がなくなってしまいました。日本では高度成長時代が約30年にわたって、続いてきました。その結果、様々な公害が起こりました。1956年、熊本県の水俣病、1961年、三重県の四日市喘息、富山県神通川のイタイイタイ病、1966年、静岡県田子の浦のヘドロ公害など。1964年の東京オリンピック中の大気汚染は、2008年の北京の3倍ひどかったのです。このため、1971年、日本は環境汚染対策に環境庁(現環境省)を作りました。1972年には国連も国連環境計画(UNEP)を作りました。その他の先進国も、本腰で環境対策を打ち出しました。同じころ、町工場は手をこまねいていたわけではありません。工場の排煙からでるSOx、NOx、の脱硫、脱硝装置を開発していました。そのおかげで、1980年代の中ごろには、公害はなくなっていきました。しかし、ここで困った問題が生じました。環境対策が功を奏した結果、これにともなって先進国が作った官庁や企業の環境関連の部署、大学の研究所の膨大な仕事がなくなってしまったのです。1970年からわずか15年足らずです。そのため、研究者たちは、地球温暖化、オゾン層破壊、BSE(海綿状脳症)、遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、ダイオキシン、食品添加物、残留農薬、環境リサイクル、プラスチックごみ等々、新しいテーマを見つけてきました。日本で30年行っている分別リサイクルは、分別した後、一般ごみと一緒にまとめて燃やしています。これは、分別して燃やすと、何倍もの化石燃料が必要だからです。ペットボトルのフタはポリエチレンテレフタレートですが、これは石油の燃えカスでできています。したがって、原材料はただ同然です。しかも、もともと化石燃料ですので、海に捨ててしまっても、いずれは自然と分解されてしまいます。1988年6月23日、アメリカ連邦議会上院の公聴会で、NASAの研究者ジェームズ・ハンセンが「人間活動の出すCO2が地球を暖めているのは99%確実。このままいけば近い将来、地球は破滅する」という趣旨の証言をしました。1970年から2020年までの50年で、世界の気温が1.5度上昇するというのです。実際は0.3度程度でしたが。しかし、このインパクトは大きく、世界が迷走することになります。この発言を追い風にして、関係者はこの時とばかりに動き始めました。国連も、1988年11月、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)を作りました。そのころ、CO2の大半は先進国が出していました。国連はCO2を悪者として、先進国から途上国へ富を分配することを考え付きました。これが、現在の「カーボンニュートラルートラル」、「脱炭素」、「SDGs」、などの大合唱へとつながっていきます。2001年6月、お台場に「未来館」がオープンしました。子供たちに地球の未来を考える場を与えようという施設です。入ってすぐ左の部屋に直径10mほどの地球儀がありました。地球が毎年どれだけ温暖化しているか、わかりやすく表面温度を白、青、黄、赤で示していました。100年先は真っ赤で住める状態ではないことが一目でわかるようになっていました。地球終末までわずか2分と左上のパネルに示してありました。未来館と言いながら夢も希望もありません。子供たちは無邪気に遊んでいます。私は心配で、翌日未来館に電話しました。折り返し電話しますといって、それから返事はありません。

 


2023.9.2. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友

 

 

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