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邂逅 その4 一寸先(1)


 私は小さい頃、おとなしく、あまり泣きもしなかったそうです。これは生まれた時に原因があり、私は家の洗濯たらいで、お産婆さんに取り上げてもらいました。看護師をしていた母の同僚が、病院で同じ日に出産しました。子供は元気に生まれましたが、この同僚が出産と同時に亡くなってしまいました。そのショックで母はお乳が出なくなり、私は飼っていたヤギの乳を飲んで育ちました。母は看護師として出産後2週目には仕事に出ていたので、私は保育園に預けられることになりました。保育園といっても体育館のようなところで100人程度が、ただ寝かされているだけで、保育士は2〜3人しかいません。小学校に上がるまで、そんな生活が続きました。4歳の時には、腸重積症で入院しました。その時の麻酔の匂いを今でも覚えています。その冬、私が行方不明になりました。自分では覚えていませんが、掘り炬燵の中で、意識不明のなか、一酸化炭素中毒で発見されました。救急車で病院に運ばれましたが、一命をとりとめました。古代エジプト文明の時代から、生まれてくる赤ん坊の数は女の子が100人に対し、男の子は106人です。現在、人工授精や体外受精、代理出産が盛んにおこなわれています。男女の産み分けをしている産婦人科もありますが、どういうわけかこの比率は変わりません。それは男の子の方が危険な遊びをするからで、20歳を過ぎると、100:100になり、結婚適齢期を迎えます。医学会の7不思議の一つです。大学1年の時、夏休みに車の免許を取りました。福岡に帰って、父のお譲りのマツダファミリアをもらい、サンフラワーで関西まで行き、そこから鳥取大学医学部のある米子市まで中国自動車道を通って帰るつもりでした。夏の台風の影響で途中から土砂降りの雨が降りました。そのため車がスリップして中央分離帯に激突しました。車は2回転ほどして、私はフロントガラス、バックミラーを突き破って反対車線に飛び出してしまいました。いわゆるハイドロプレーニングです。目の前をトラックが通って行ったのを覚えていますが、その後の記憶はありません。気が付いたら小野市民病院の薄暗いベッドの上です。患者も少なく、部屋には私1人でした。研修医らしい男性の外科医が優しく、応対してくれました。左の耳たぶがとれ、額を全部で30針ほど縫いました。脳に問題がなかったので、2週間ほど入院し、9月から始まる授業には間に合いました。救命救急センターで働いていた頃、担当していた患者が年末急変しました。10日間ほど付きっ切りで看病しましたが、12月31日の夜に亡くなってしましました。大学病院ですから、遺体の病理解剖を病理医と二人で深夜3時間ほどかけて行いました。もう1月1日の午前4時です。車で病院から出て間もなく居眠りしてしまいました。民家の駐車場の壁に激突し、車は大破炎上しました。意識はもうろうとしていましたが、必死で車からはい出し、自分の勤務している救急病院に運ばれました。腸管断裂、脾蔵・肝臓破裂、人工呼吸器につながれ、目が覚めたのは3日目でした。2週間ほどで退院し、すぐに仕事に復帰しました。このころ私は釣りが好きで時間が取れれば、ポケットベルを持ってよく大阪湾にチヌ(黒鯛)釣りに行っていました。夜になるとチヌは岸によって来るので、テトラポットの上を移動しながら、生きたエビをチョンがけにして釣ります。ほとんど坊主ですが、たまに30cmオーバーのチヌが釣れたりします。明け方まで釣って、病院に帰るのですが、ある時テトラポットの間に落ちてしまいました。夜間でだれも周囲にいません。テトラポットの高さは優に2m超えるので、出ることができません。そのうち意識がボーツとしてきて、眠ってしまいました。気が付いたら、もう夜が明けていました。遠くで汽笛の音がします。私は何とか這い上がって、自転車で病院まで帰りました。


2025.12.14. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友

 

 

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