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邂逅 その4 一寸先(2)


 小倉北区の救急病院にいたころ、帰宅途中、自転車に乗った若い男に後ろから呼び止められました。「おい、殺してやる」と言って銃口を私に向けています。私が呆然としていると、後ろから兄貴分らしい男が自転車で追っかけてきて、「おい、そいつじゃない」と大声で制しながら急いで去っていきました。救急病院でヤクザの抗争はよく見聞きしていましたが、あやうく巻き添えを食うところでした。九州大学医学部大学院胸部疾患研究施設で研究していたころ、週に1度壱岐の島にアルバイトに行っていました。年末年始は泊まり込みで仕事をすることになっていました。壱岐の島の海の水はとてもきれいで、水深20m下で泳ぐ魚が目で追えます。1月3日、ようやく明日帰る日の前日、休みをもらって、島の反対側の岸壁の上からクロ(メジナ)釣りをすることにしました。病院の事務長に車で送ってもらい、午後4時に迎えに来てもらう約束でした。しかし、釣り始めてポツリポツリと雨が降ってきました。雨はだんだん激しくなっていきましたが、病院に帰ろうにも手段がありません。携帯電話もない時代でしたので、しょうがなく釣り竿を出していました。しかし、昼頃になると、だんだん冷え込んできて、体力もなくなり、釣りどころではなくなりました。迎えの車が来るまで、4時間、雨のなかじっと我慢していました。帰ってから40℃近い高熱が出ました。胸部X線撮影で、すぐに肺炎とわかりました。1週間、福岡の実家で、自分でペニシリンの点滴をし、改善しました。東京で開業してから3年目ごろ、軽井沢に家族5人でスキーに行きました。リフトから降りる時、ストックを持っていた左手親指をリフトにひっかけてしまいました。帰ってからも、なかなか痛みが引かないのでX線を取ると、親指末節骨が骨折していました。腫れが引くまで数か月、痛みが引くまでそれから数か月を要しましたが、内視鏡をする時、ズキズキ痛みます。懸命にこらえて、誰にも気づかれないようにしていました。そのころ全日本医家管弦楽団でバイオリンを弾いていましたが、まるまる1年棒に降りました。その年の4月ごろから頭痛、耳鳴り、めまいがはじまり、近くの耳鼻科に診てもらいました。症状が消長するので、放置していましたが、7月に洗面台の前で突然倒れ、意識がなくなりました。東京女子医大の耳鼻科で診てもらいましたが、原因がよくわかりません。友人に帝京大学病院の小寺先生を紹介してもらいました。診断は真珠種で、「先生よかったね、僕あと4年で退官だよ。」といわれ、手術をすることになりました。硬膜とクモ膜の間にあり、放置すればクモ膜下出血を起こします。小寺先生は世界的に有名な専門家だったのです。開業3年目でちょうど大変な時期でしたが、9月初めに入院し、開頭手術しました。その間1か月ほどクリニックは閉院です。身体的にも精神的にも経済的にもどん底を味わいました。体重も5kg痩せました。もともと救命救急医なので、たくさんの設備投資をしていました。大学病院でできる検査機器はほとんど揃えていました。クリニックを再開すると、患者さんの2〜3割はもう離れていました。病院のベッドには落ちないように鉄パイプの柵がありますが、たまたまその日は柵をするのを忘れていました。退院前日、夜中ベッドから落ちてしまいました。右肩の腱板損傷で右腕が上がらなくなってしましました。また手術で休むわけにはいきません。仕方なく、看護師に手伝ってもらって、ブロック注射やXe光線、湿布で何とか仕事を続けました。休業補償や生命保険に入っていたのですが、私はうつ状態でそれどころではありませんし、妻は3人の子供を抱え、私にかまっている暇はありません。結局もらえずじまいに終わってしまいました。


2025.12.14. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友

 

 

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