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邂逅 その4一寸先(4)
大学病院で研究していたころ、ちょうどアップルの1号機を購入することになりました。それまでいちいち目で数えていた細胞をコンピューターが数えてくれます。この時はさすがにみんながびっくりしました。翌年には新しくバージョンアップされ、白黒がカラーになりました。私は喘息の原因になる好酸球上の補体やサイトカイン、インターロイキンなどの研究をしていました。どうしても血液の細胞、肺胞洗浄液の細胞を数える必要があります。それまで4〜5時間かけて夜中まで数えていた100〜200個以上ある細胞をそれぞれに番号を付けてわずか数秒で画面に表示します。細胞が違えば、色違いで表示してくれます。まだノート型パソコンのない時代で、研究室に2〜3台しかありません。これをみんなで使い回しします。とうとうコンピューターがないと実験ができなくなってしまいました。これは他の研究者も同じです。まだバックアップ機能はついておらず、USBなどもなかったような気がします。私の実験はブラウンノルウエーラットを気切して喘息発作を起こし、好酸球上のケモカインンやサイトカイン、抗C5a recepter抗体などを測ることでした、ブラウンノルウエーラットは買うと高いので自分で飼育し、使用します。数百匹は使ったでしょうか。ある日、今までの実験データを見ようとコンピューターを見てみると、どこにも見当たりません。私は目を疑いました。使いまわしているうちに、誰かが消去してしまったのです。自分がした2年間の実験データが消えていたのです。努力が水の泡になってしまいました。ラットにもかわいそうなことをしました。それからは、実験のつど、データを紙に出すようにしました。実験は最初からやり直しです。私が大学1年の時、交通事故を起こして、2か月ほどたった頃、解剖の講義中、先生が、私にすぐに実家に帰りなさい、と声を掛けました。事情を聴いてみると、父が心筋梗塞で倒れた、という事でした。私は急いで電車に乗り、福岡の実家に帰りました。母と二人で見舞いに行きましたが、命に別状はありませんでした。私は安心して大学に戻りましたが、それからしばらくしてまた連絡が来ました。今度は脳梗塞を併発しました。半身マヒで口語障害もあり、まったく声が出なくなりました。父の心配もありましたが、それ以上に大学に戻れないと思いました。授業料を払うめどが全く立たなくなってしまっていたのです。私は福岡県奨学会にいって、事情を説明しました。福岡県奨学会は無利子、無担保、無期限でまだ20歳にもならない私に108万円の奨学金を出してくれました。授業料が年間9万円程度でしたので、私は命拾いをしました。今の私があるのは福岡県奨学会のおかげです。この奨学金は最近返し終わり、懐かしい鉛筆書きの完済の書類が届きました。パン屋で時間給300円のアルバイト、精神科病棟で週2回、夜間、先生について2時間ごとに回診のアルバイトをしました。これが1晩、7000円でした。この影響もあり、卒業後は精神科に行こうと思っていましたが、思いはかないませんでした。まったく真逆の救命救急センターで働くことになりました。このいきさつはまた次の機会にお話しします。私はどの宗教にも属していませんが、何か見えない力が生まれてからずっと背後にあるような気がします。自分の力で何とか出来ると思っているのはほんのわずかで、ほとんどが未知のレールの上にあります。レールはもともと敷いてあるのかしれませんが、それにも私は興味がありません。「岩もあり木の根もあれど、さらさらとたださらさらと水の流るる」(甲斐 和里子作)です。
2025.12.14. 氷川台内科クリニック 院長 櫻田 二友
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